2020年11月17日

AKのスピリチュアル講座2:私のスタンス

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※今回、「スピリチュアル」あるいは「スピリチュアリティ」といったテーマに関する私自身のスタンスを明らかにするにあたり、(読む人の迷惑を顧みず)かなり網羅的に記事にしました。
どうも私は小出しにするのが苦手のようです。
なので、すべていっぺんに読んでいただく必要はありません。興味がありそうな項目だけ選んで読んでいただいて構いません。

■スピリチュアルなものは余興か?

世はまさに「スピリチュアル・ブーム」です。
しかし、そのブームの中身と言えば、UFO、宇宙人、オカルト、心霊現象、超能力、臨死体験、体外離脱、占い、引き寄せの法則、チャネリング、瞑想、ヨーガ、予知・予言・・・といった具合です。
これらひとつひとつの現象だけを取り上げ、その真偽を問うこと自体で「スピリチュアル」を云々するのは拙速というものでしょう。
たいていの人は、スピリチュアルなものを、目に見えない、得体の知れない、胡散臭い、非科学的なものだと退けるか、あるいは不思議がって面白がって、興味本位で受け取るか、どちらかではないでしょうか。つまり、スピリチュアルなものへの興味は、一種の「怖いもの見たさ」(余興の類)なのでしょう。
スピリチュアリティとは、確かに目には見えませんが、そのことだけで非科学的な現象だと断定することはできません。それはどのような科学的尺度を持ってくるかによって変わってくるはずです。そこに物理化学系と人文科学系の分野対立の古臭い伝統のようなものまで垣間見てしまうのは、私だけでしょうか。
スピリチュアリティを非科学的に、あるいは単なる余興として捉えようと思えばいくらでもできます。一方、スピリチュアリティを純粋に科学的な研究対象と捉えることも可能です。ただし唯物論では捉えられません。

■科学でなければ宗教か?

「科学的でなければスピリチュアルだ」という考えの延長線上にある「科学 対 スピリチュアリティ」という対立は、「科学 対 宗教(あるは神秘主義)」という対立に置き換えることもできるでしょう。
真のスピリチュアリティとは、やや大袈裟に言うなら、個人的実践において、科学的伝統(特に心理学)と精神的(霊的)伝統の間に統合をもたらすことだと、私は個人的に考えています。真のスピリチュアリティを実践することで、あなた個人の中で、長きにわたる学問的対立に和解と融合をもたらすことができると、私は信じています。
ひとつの事実を思い出していただきたいのですが、それは、現代物理学の先駆者たちの多くが、究極的には神秘思想家であるという事実です。ただし、迂闊に「科学と宗教がついに和解したのだ」と拍手を贈る前に、もうひとつの事実を思い出していただきたいのです。宗教と科学はまったく異なる発展の過程を歩んできたのであり、多くの物理学者が神秘思想家になったからといって、宗教と科学が同じ結論に至ったのか、それともそう見えるだけなのか、そこは大いに議論の余地がある、ということです。
ここで重要なことは、スピリチュアルな道とは、「個」から「全体」へ至る上昇(進化)(物理学的に言えば膨張)の道であり、決して「全体」から「個」へと下降(退行)(物理学的に言えば収縮)する道ではないということです。たとえば、科学的(客観的)な真理が全体としてまずあり、そこから個別の現象を説明するなら、それは科学的な下降の道です。
もうひとつ付け加えておくなら、多くの物理学者が神秘思想の持ち主だからといって、日照り続きで作物が思うように育たないときに、雨乞いの儀式をして天に祷れば、雨雲がやってきて必ず雨を降らせてくれる(念力で雲を操れる)、という考えには同意しないだろう、ということです。このときもし自分たちの祷りが天に通じて雨を降らせてくれたのだと考えるなら、それは宗教的な意味で下降(退行)の道となります。

■スピリチュアル・ビジネスに騙されないために

この論考で私が試みようとするのは、二項対立に和解をもたらす前に、むしろ何が対立しているのかをはっきりさせることであり、非科学的であるとみなされる現象を「胡散臭い」と退けるのか、純粋に余興の対象と捉えるのかの「二者択一」に甘んじている多くの人々に、まったく別の捉え方を考えていただくことなのだろうと思います。

スピリチュアリティを単なる興味本位、「怖いもの見たさ」あるいは「苦しいときの神頼み」的な認識で捉えると、カルト教団やスピリチュアル・ビジネス(霊感商法、自己啓発セミナー、マインドコントロールなど)に騙されやすい状態になります。
そうした世相の傾向を踏まえたうえで、まず以下に、一般の人が疑問に思いそうな事柄を列挙し、私なりの(できる限り下降の道ではなく上昇の道としての)考察を加えたいと思います。この考察によって、スピリチュアリティに関する私のスタンスを、少しでも透かし見ることができればと願っています。

■UFOや宇宙人について

Q:肉体を伴った異星人が宇宙船に乗って地球に飛来している、ということは物理的にあり得るか?

私たちがよく目撃するUFOの大半は、気球や鳥や隕石などの見間違いか、あるいは明らかな作り物の映像だろうと、私は思っています。
UFOの映像だけでなく、いわゆる心霊現象を映したとされる映像でも、その撮影の意図がはっきりせず(撮影者がなぜそのときそこへカメラを向けていたのか疑問)、いかにも偶然何かが映ったという「体」で録られた映像は、作り物の可能性が高いと、私は見ています。なぜなら、そういう類の映像を捏造することで成立するビジネスがあるからです。そんな捏造映像の中には、定点監視カメラの映像を装って作られたような手の込んだものもあるでしょう。
確かにこれは作り物ではなく、「UFO(未確認飛行物体)」と言えるかもしれない、という映像を見ると、大気中ではあり得ないようなスピードで移動したり、一瞬消えたかと思ったら、また違う場所に現れたり(量子レベルでなら確かにそういう現象が観測されますが)、ということを繰り返しています。それがもし本当に異星から飛来した宇宙船だとすると、その中にいわゆる三次元空間でいう「肉体」を伴った異星人(知的生命体)が乗っていることは物理的にあり得ません。もし乗っていたとするなら、肉体は粉々に破壊されるでしょう。「宇宙船でなければ、何なのか」と問われれば、「わからない」と答えるしかありません。
もし「宇宙人」あるいは「異星人」と呼ばれる存在が地球に飛来してきているとしたら、肉体を伴わない霊的存在だろうと、私は考えています。「霊的な現象が物理空間に反映されるか?」と問われれば、「わからないが、あり得る」と答えるでしょう。
私は、UFO現象や「宇宙人の地球襲来」といった現象を見るにつけ、思うことがあります。
もし肉体を伴わない(はずの)霊的存在が、すでに地球に来ていて、しかも肉体を伴って存在しているとしたら、それは誰か(人間)の肉体に宿ったか、あるいはエイリアンの魂を宿したまま地球上で人間的な肉体にまで進化したかのどちらかです。もうおわかりですよね。それこそ私たち人間そのものではないですか? そう、まさに私たち自身が、肉体の衣をまとったエイリアンではないでしょうか(「私たち地球人全員が、魂レベルではET(地球外存在)である」という考えの根拠はどこにあるのかについては、また詳しく取り上げたいと思います)。
つまり、私たちはUFOを見上げる度に、あるいは夜空の星を見上げる度に、私たち自身の「隠された正体」を鏡に映して見ている、ということなのです。UFOや異星人に関心が強い(自分が純粋な地球人であることを完全には認められない)人ほど、魂の故郷に対する望郷の念が強い、とも言えるかもしれません(私もその一人かも)。
いわゆる「アブダクション(エイリアンによる地球人の拉致・誘拐)」という現象も、「未知への不安や恐怖を伴った魂の望郷の念」と私は捉えています。つまり、アブダクションの恐怖のイメージは、自分たち人間こそが地球侵略・地球征服の張本人である、ということを認められない人間たちが(大規模な地球環境破壊を見れば、そう考えざるを得ません)、その認められない自分たちの真実をエイリアン(という仮想敵)に勝手に投影した結果、ということです。「投影(特に集団投影)」という心的現象に関しては、いずれ詳しく取り上げるつもりです。
もちろん、肉体を持った異星人が宇宙船で地球に飛来していることは物理的にあり得ないと思っている私には、実際にエイリアンに誘拐されて宇宙船に乗せられるということも、あり得ないわけです。
このように考えるなら、「地球侵略のためにエイリアンがすでに訪れている」という考えは、何と何が対立した結果生まれたものかは明らかではないでしょうか。自分たちこそがエイリアンであると認められない人間が、自分たちの影としてのエイリアンのイメージと対立している、ということです。デーヴィッド・アイクの言う「レプティリアン」も、ゼカリア・シッチンの言う「アヌンナキ」も、カルロス・カスタネダの言う「捕食者」も、すべて基本的にはこの類だろうと、私は見ています。
ハリウッド映画は、「宇宙人の侵略からの地球防衛戦争」というテーマを繰り返し描いていますが、これは古くから神話に描かれた英雄伝説(英雄が悪魔や怪物と闘って、人々の窮地を救った)の現代版の焼き直しでしょう。つまり、古代神話の英雄も地球防衛軍も、自分の影と闘って勝利する、という物語に他なりません。
「人間は異次元の存在に支配(家畜化)されている」、「人間は異星人によって奴隷として創造された」といった地球規模、全人類規模の「被害妄想」がなぜ起きたのかに関しては、これからじっくり解き明かしていくつもりです。いずれにしろ私たちは、この巨大な被害妄想のメカニズムにいい加減気づくべきであり、自分たちがなぜエイリアン的な現象に恐怖や対抗意識(ある種の畏敬の念?)を抱くのか、その理由を真剣に考えるときだと、私は思っています。もうおわかりのように、この恐怖が裏返れば、スピリチュアルなものに対する「怖いもの見たさ」「苦しいときの神頼み」になるわけです。

※この理由をいち早く知りたい方は、小説「コズミック・スピリット」をぜひお読みください。→ https://howlingwolf.cart.fc2.com/ca0/13/p-r-s/

■霊的現象について

Q:現代の物理化学で説明のつかない現象は、魂や霊といった目に見えない存在が引き起こしているのか?

そういう可能性はあると思います。肉体を伴わない宇宙人(霊的存在)がいるかもしれないと想定するなら、魂や霊といった目に見えない存在もいると想定しないと整合性はとれません。宇宙のどこかにいるなら、地球にもいるだろう、ということです。何しろ、地球も宇宙の一部ですから。
たとえいなかったとしても、霊感の強い人がいわゆる「残留思念」のようなものを感じ取ることはあり得るかもしれません。
この世に何らかの怨みや未練を残して死んだ人の霊魂が、生きている人間に危害を加えたり、恐怖心を煽ったりするという考え自体は古くから存在しているでしょうが、これほど科学的知見が浸透している現代でさえなお根強く残っている背景には、単に古い時代の迷信の残滓という以上の何かがあるのかもしれません。
たとえば、極端な科学信仰や唯物論がはびこれば、人間の真実の一部でありながら非科学的とされる部分は外部に投影され、そういうものが霊魂の姿を借りて人間に反撃を加えてくる、という発想はあり得るわけです。つまり、古代における迷信(アニミズムと言ってもいいでしょう)と、科学時代の現代における迷信とでは構造が異なるとも言えます。少なくとも、アニミズムが絶対的信仰だった古代社会に比べ、現代のアニミズムはかなり相対的(様々な信念体系のなかのひとつであり、しかもかなり古臭いもの)であるはずです。
私たちが考えなければならないことは、人間の意識進化のプロセスを「前近代」「近代」「後近代」という具合に三つに大きく分けるなら、アニミズムも唯物論もどちらも「後近代」的ではない、ということです。
蛇足ながら、「引き寄せの法則」といったものも、下手をすると「現代的迷信のポジティブなバージョン」という類になりかねません。そもそも「自分が望む現象だけが自分の周りに起こる(引き寄せられてくる)」あるいは「望まない結果が出たのは、ちょっとでも否定的なことを考えたからだ」という考え方の落とし穴については、また論考を改めたいと思います。誤解をおそれずに結論から先に言うなら、「引き寄せの法則」とは、人を盲目にし、人間的成長を妨げ、「ガキ(餓鬼)」のままにしておくための方法論です。

■メッセージの受信やアカシックレコードについて

Q:霊魂、悪魔、あるいは神は本当に存在していて、そうした存在が人間に近づいたり、メッセージを送って寄こしたりすることはあるのか?

霊魂、悪魔、あるいは神といった「存在」が、物理空間の中に肉体を伴って存在するとは、私は思っていません。私たちがそういう「存在」を見たり、接触したり、交信したりするとしたら、何かしら霊的な次元でのことだろうと思います。
私は「ポンカワンカ」という言葉を「アカシックレコード」からダウンロードしたと申し上げましたが、全人類の記憶、全地球の(あるいは全宇宙の)記録といったものが、物理空間のどこかに存在しているかどうかは疑わしいし、科学的に完全に証明はできないだろうと考えています。また同時に、そうした記憶域が人間の脳の中だけに存在しているとも考えていません。そうした記憶域があるとしたら、物理空間というよりは、物質、生命、心、魂、霊といったすべての領域(「圏」あるいは「層」)にまたがって存在しているだろうと考えています。
つまり「アカシックレコード」とは、その存在が証明されるべきものではなく、想定されるべきものだと、私は考えています。
霊的次元で起こっている現象を物理次元で捉えることはできません。捉えたいなら、肉体をそこへ持っていくことはできませんので、意識を持っていくしかありません。
私たちがそうした次元にアクセスすることができるとしたら、通常の意識状態ではあり得ないでしょうし、いわゆる一般的に流布している常識的な発想も超越する必要があるでしょう。たとえば「人間の意識は脳が作り出している。したがって脳が死ねば意識も消滅する(これこそ、典型的な唯物論)」といった発想です。こうしたことからも、唯物論は私たちの意識を狭める方向へ働くことがよくわかります。そういう意味で、唯物論は下降(退行)的です。
ここでお断わりしておきますが、私は科学的事実が間違っていると言っているわけではありません。科学は正しいことを言っていたとしても、あくまで部分的なのです。唯物論は、その部分をもって全体(絶対)だと言ってのけてしまうところ(極端な還元主義)が、極めて限定的であり、下降(退行)的なのです。
もうおわかりだとは思いますが、「唯物論」はあっても「唯霊論」といったものはないのです。霊的次元とは、物理次元に対立するものではなく、物理次元を「含んで超える」ものだからです。このあたりは、またじっくりお話しします。

■霊的次元の理解は「時間軸」がポイント

Q:物理化学は、超能力、霊魂の存在、ポルターガイストといった現象をいずれ証明できるか?

可能性はあると思いますが、そう簡単にはいきません。少なくとも唯物論では証明できません。科学が唯物論を乗り越えるだけでも、何百年もかかるかもしれません。たとえば、科学と宗教の融合が真の意味でできたとしたら、こうした現象の証明に一歩近づくかもしれません。そこで初めて物理次元と霊的次元が融合するのかもしれません。
ただし、現代物理学が「次元」という概念を捉えるときに、決定的に欠落している部分があると、私は思っています。それは「時間」という現象の捉え方です。人類はいまだかつて「時間」という現象の定式化に成功したためしはない、と私は思っています。
「60秒で1分、60分で1時間。24時間で一日、約365日で一年」? それは太陽系における地球の動きを表す尺度にすぎません。ならば「時間=光の速度」? それも「時間」を光の性質に置き換えたにすぎません。光の速度はむしろ距離を表す尺度です。私たちはまだ「時間」そのものの本質を定式化できていないのです。
いわゆる「タイムマシン」というものが可能かどうかも、「時間」という概念を物理的に定式化できるかどうかにかかっている、と私は見ていますが、おそらくそれは不可能でしょう。なぜなら、「時間」は多次元にまたがる性質のものだと考えられるからです。アカシックレコードが多次元にまたがるものだと考えるなら、当然「時間」も多次元にまたがるでしょう。
X軸、Y軸、Z軸の三つのベクトルによって三次元空間が表され、そこに時間のベクトルを加えたものがこの物理次元(四次元)だということになりますが、実際には誰も時間のベクトルを見たことはないはずです。なかんずく、五次元より上の次元がどのようなものかを、私たちはどれだけ正確に把握(想像)することができるでしょうか。五次元以降は、もはや通常の時間軸が通用しない世界なのか、それともまったく別の時間軸が追加されるのか(つまり、次元の数だけ別の時間軸が存在するのか)・・・?
物理次元だけで「時間」を捉えるなら、タイムマシンは単なる論理矛盾になるだけです。それは「意識」という現象を多次元的に捉えられるか(脳の中に納まっていない意識を想定できるか)、という問題ともかかわっているでしょう。

※ここでご注意願いたいのは、物理学でいう「次元」と、スピリチュアリティでいう「次元」とでは、アプローチがちょっと異なる、ということです(最終到達点は同じかもしれませんが)。

■未来予知は可能か?

Q:人間は、未来に起こることを正確に予言したり、気象現象や天変地異などの物理現象を意識の力(想念、念力)で制御したりできるか?

その可能性はゼロではないと思います。しかし、そこへ至るには絶対にはしょれないプロセスがあると、私は考えています。
まず第一に、人間が地球上のあらゆる物理現象に対して完全に正確な科学的知見を有すること。CO2のコントロールやウイルス対策やその他の災害対策でさえままならない現状では、物理現象の自在なコントロールも未来予測もとてもあり得ないでしょう。すべての物理現象を科学的に解明するだけでも、今後数百年から1000年ぐらいかかるかもしれません。天気予報でもするような感覚で、世界中の災害予報がテレビで毎日放送される日は、いつ訪れるでしょうか。
そのうえで、天変地異や気象現象を完璧にコントロールできる技術を開発すること(これだけでもプラス数百年?)。そこへ至る過渡的な段階として、降雨量不足や日照時間不足などによる作物への影響を解決する技術や、災害から人間を完璧に守る技術などの開発が必須となるでしょう。
さらに、そうした科学技術を駆使しなくとも自然現象をコントロールしたり予測したりできる能力を相当数の人間が身に着けること。これができて、初めて私たちは科学とスピリチュアリティを完全に融合させることができるのかもしれません。もちろんここには、「時間」のベクトルに対する理解の深まり方も絡んできます(これでさらに数千年?)。
余談ですが、もしあらゆる人が(あるいは、ほとんどの人が)本当にこうした能力を(程度の差こそあれ)身に着けたら、人間の平均寿命は数百年単位(つまり亀仙人?)になっているかも。

■死後の世界と魂の永続性

Q:死後の世界とは本当に存在し、人間の魂は肉体の死後も永続し、再び肉体に宿るということを繰り返しているのか?

その可能性は大いにあると思います。
むしろこの分野は、そうとしか考えられない証拠や証言が多数出てきている以上、「ある」という前提に立った客観的な研究ないし検証の対象と見るべきだと、私は思っています。
一方、専門の研究者でない私たち一般の人間にとって重要なことは、「人生は一回では終わらない」「私の魂は、この生を始める以前から、何かを経験し、何かを学んでいる」「私は、何らかの課題や、固有の目的をもって生まれ変わっている」と考えることで、自分自身の生き方や他人の人生への理解がどのように深まるか、という点です。
また同時に、「私の魂が地球上で転生を繰り返しているとしたら、それ以前はどこで何をしていたのか?」といった空想に想いを馳せることで、自分の意識がどのように拡大(上昇)するのか、といったことも興味深いところです。

さて、瞑想、チャネリング、ヨーガといった分野が最後に残りましたが、こうした精神修養につながる営為に関しては、改めて掘り下げるつもりですが、ここで一言だけ言っておくなら、退行的(下降的)な傾向の持ち主がこの手の営為を行えば、結果も退行的になる(質の低い、次元の低いものになる)ということです。たとえば、唯物論者が瞑想を行っても、最も高い霊的次元には決して至らないだろうし、逆に、霊的修行を積んでいるはずの宗教家の中にも、低いスピリチュアリティしか示さない人もいます。どちらも退行的であることにかわりはありません。

■私のスタンスは「主観」

この辺で、私自身のスタンスをはっきりさせておきましょう。
私は特定の宗教を信仰しているわけではありません。だからといって、無神論者でもありません。ついでに言うと、科学信仰も持ち合わせていません。当然、唯物論者ではありません。科学的な知見とスピリチュアリティを安易に結びつけてしまうことにも慎重な立場です。
「〜ではない」ということばかり申し上げましたが、では「何者だ?」と言うと、私がもっとも重視していることは個人のリアリティです。主観と言っても構いません。ただし、「客観」に対立する「主観」ではありません。「客観性こそが科学的態度だ」という考えによって、隅に追いやられた「主観」です。あるのにないことにされている「主観」です。したがって、「主観」を重視しているからといって、「主観」にとどまっていたいわけではなく、個人主義を奨励しているわけでもなく、すべての人の考えが平等(等価値)だとも思っていません。すべてが平等(等価値)だとする一種の「相対主義」こそが「ドグマ」であり、ドグマこそが「主観」を隅に追いやっている原因だとも考えています。それと同時に「主観」(「個」)から出発しない限り、「全体」には至れないとも考えています。

■私の経験していることは「幻覚」か?

私は、肉体を持たない多次元宇宙の霊的存在(意識体)と名乗る存在たちと触れ合う経験をしていますが、彼らの実在について、完全に信じてもいませんし、完全に疑ってもいません。あくまで主観的な経験であり、彼らの客観的実在を証明しようとも思いません。実在するかしないか、どちらの可能性もある、というニュートラルな認識に(今は)とどまっています(彼らには、「疑いたいだけ疑えばいい」と言われますが・・・)。
ただ私は、個人的(主観的)にそういうリアリティを生きている、ということは疑いようがありません。もっと言えば、それは私にとって、豊かな内面を生きているということでもあるので、そういう自分を否定したりしませんし、その信憑性を人に押しつけもしません。
こういう私を、統合失調症の類ではないか(幻覚を見ているのではないか)と疑う専門家もいるようです。
そういう専門家に対して、私はひとつの問題提起をしたいと思います。
私が経験していることが、百歩譲って病的な「幻覚」だとしましょう。しかし、私はその幻覚に「悩まされている」わけではありません。「見たくないのに現れる」なら、それは悩みのタネでしょうが、むしろ私は自分から求めに行っています。そして、求めに行くことで、明らかに自己成長につながっている、という実感を抱いています。そして、私が求めることで、彼らとの関係性も進化(深化)しているという実感も抱いています。この実感を専門家に言わせると、「幻覚が人を育てる」ということになるのでしょうか?
私は、彼らが私の「幻覚」ではない、という論理的整合性を持っていますが、説明が長くなるので今は省きます。
私にとってもうひとつ重要なことは、彼らとの触れ合いによって、長年苦しんでいた致命的な慢性病が治ってしまった、という紛れもない事実です。少なくとも、現代西洋医学には治せませんでした。それどころか、この経験によって、現代医学の盲点まで見えてきました。ごく簡単に言ってしまえば、人はなぜ病気になり、そしてそれが癒えるのか、といったことも、物理現象、あるいは生命現象だけで捉えるなら、答えは出ないだろうということです。このことについても、いずれ詳しく述べようと思います。専門家はこれをどう解釈するでしょうか。聞いてみたいものです。

■「チャネリング」について一言

私は、多次元宇宙存在との触れ合いによって、メッセージを受信し(メッセージを受け取ることは、彼らとの関係性のほんの一部にすぎませんが)、重要(私個人にかかわるだけでなく、全人類にかかわるもの)だと思われるものは発表することもあります。たとえば、上述のような、「神話に登場する怪物退治の英雄とは、自分の影と闘う地球人自身の(滑稽な)姿に他ならない」といったことや、「時間」の概念に関してなどは、彼らから伝えられたことです。
しかし、私にとっては情報の出所は大した問題ではありません。内容の真偽を問われるなら、それはいくらでも議論の俎上に乗せましょう。それは、内容の真偽を、私自身が常に検証している、ということでもあります。したがって、発表したメッセージは、私自身の考えだと思ってもらって構いません。
蛇足ながら、チャネラーを自任しているあなたに申し上げておきます。もしあなたの受信したメッセージに、科学的(唯物論ではない)に言ってまったくあり得なかったり、人類に対して、あるいは地球に対して、必要以上の介入を仕掛けてきたり、恐怖心や危機感を煽ったり、ある種の期限を区切って、何かの準備をさせようとしたり、「何年何月にどこそこで何が起きる」といった予言めいたことが含まれていたり、あるいはあなたのチャネリングにある種の「物質化」が含まれていたりしたら要注意です。こうしたことが出てきたとき、人は対処に困るはずです。誤解を恐れずに一言で言うなら、これらはすべてマインドコントロールの手口です。
メッセージの真偽を問うときに最も重要なことは、そのメッセージがあなた自身の、あるいは人類全体の成長や進化に寄与するか否か、ということです。人心に困惑や混乱を招くなら、それは成長や進化とは逆向きです。
チャネリングにおいて最も重要なことは、その営為によってあなたの心と身体に「エネルギーシフト」が起きるかどうかです。チャネラーには大きく分けてトランスチャネラー(チャネリング中、本人に意識がない人)とコンシャスチャネラー(意識を伴ったままチャネリングする人)の二通りいます(私は後者)。トランスチャネラーの場合、本人に意識がないので、その間の記憶はないでしょうが、エネルギーに変化があるかどうか、そばにいる人ならわかるはずです。トランスチャネラーなら、自分に何が起きているのか、本人がいちばんよくわかっているはずです。

私自身のスタンスについては、今はこのぐらいにしておきます。

posted by AK at 16:33| Comment(0) | 論考

2020年11月06日

AKのスピリチュアル講座1:「ポンカワンカ」の意味

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今回からシリーズで、「スピリチュアル」あるいは「スピリチュアリティ」に関して、講座形式で集中的に解説していきたいと思います。
みなさんは、「スピリチュアル(霊的な)」あるいは「スピリチュアリティ(霊性)」という言葉を聞いて、どのようなイメージを抱くでしょう。非科学的で、非現実的で、目に見えない、得体の知れない、怪しげな、どこか浮世離れした絵空事、というイメージでしょうか。
しかし、これらのイメージは、スピリチュアルあるいはスピリチュアリティに関し、あまりに間違った、偏った、あるいは低い(狭い)認識と言わざるを得ません。
このあたりで、真のスピリチュアリティとは何かについて、皆様に真剣に考えていただきたいと思います。
このテーマに取り組むにあたり、私自身の体験談も含めてお話しするつもりですが、なるべく公正で偏見のないニュートラルな姿勢を心がけようと思っています。

さて、その第一弾の今回は、シリーズ全体を俯瞰するような内容になるでしょう。

今年の10月からネットラジオ「ポンカワンカ・ラジオ」をスタートさせましたが、タイトルに使った「ポンカワンカ」とは何でしょう?
ラジオの中では「21世紀の全人類的課題」とご紹介しましたが、ここでもう少し詳しい解説をしておこうと思います。
ただし、今回はあくまで概論なので、ゆくゆくさらに詳しく取り上げようと思っています。
なお、小説「コズミック・スピリット」の読者の皆様にとっては、すでにご存じの言葉だと思いますが、ここでは、多少新しい情報も交えながらご説明したいと思います。

■「ポンカワンカ」はどこからやってきた?

まず「ポンカワンカ」の言葉の由来をご説明します。
2012年の11月に、私はあるセラピーを受けたのをきっかけにチャンネルが開き、メッセージの受信状態になりました。「チャンネルって何?」「メッセージの受信って何?」という説明は、ここでは省きます。
これを皮切りに私は、2012年から2014年ぐらいにかけ、ほぼ毎日「意識の多次元宇宙ツアー」とも呼ぶべき体験をしました。今は毎日ではありませんが、この種の体験は少なからず続いています。
その一環として、ある日、宇宙ツアーの真っ最中に、アカシックレコードから「ポンカワンカ」という言葉を偶然ダウンロードしました。「アカシックレコードって何?」という部分も、おいおいご説明します。
それに続けて、「宇宙図書館」としか呼びようのない(意識の)場所に行き、「ポンカワンカ」の意味を調べたところ、どうやら古代インカの言葉で、「全なるものとの合一」という意味らしい、ということがわかりました。
地球の次元に戻った後、インカ文明について調べるうちに、この言葉の意味と、なぜ自分のもとにこの言葉がやってきたのか、その理由がわかってきました。
それをもとに私は、小説「コズミック・スピリット」を書き上げたわけですが、ここでは現代の状況に置き換えて、その意味するところを概説します。

「ポンカワンカ」の言葉の意味には、以下の5つのポイントがあると、私は考えています。
●意識のエネルギーシフト
●葛藤の乗り越え
●魔法からの解放、催眠術からの目覚め
●「魂」が繰り広げる壮大な生命の実験
●すべてのものの親になること

この5つのポイントは、小説「コズミック・スピリット」のメインテーマでもあり、それぞれが関連し合って、ひとつのプロセスを形作っています。
では、これらのポイントをひとつひとつ見ていきましょう。

■意識のエネルギーシフト

私は、「意識のエネルギーシフト」こそ、21世紀の全人類的課題だと思っています。この言葉は、お望みなら「意識変革」「意識成長」「意識進化」といった言葉に置き換えても構いませんが、その意味するところをもう少し明確にしておきましょう。
「意識のエネルギーシフト」という言い方には、次の二つの意味が含まれています。
「意識とは、一種のエネルギーである」
「そのエネルギーをシフトアップさせる」
エネルギーをシフトアップさせる方向には、主に次の二つがあります。
〇狭くて低い範囲からより広くて高い範囲へ
「より広くて高い範囲へ」とは、「個」を超えて「全」へ向かう、という意味です。わかりやすい例を引くと、よく自分勝手にならないための戒めとして「相手の立場に立って、ものを考えなさい」などと言いますが、本当の意味で他人の立場に立つためには、自分の立場でも相手の立場でもある、いわば人類共通の立場に立つ必要があります。「誰々の立場に立つ」というその「誰々」の部分の人数を増やしていけば、原理的には人類共通の立場に近づけるはずです。私たちが、人と話をしたり、本を読んだり、ニュースやドキュメンタリーを観たりするのは、多くの人の事情を知ることで自分の意識を拡大するためではないでしょうか。
そうした意識拡大には、知らず知らずのうちに誰か(主に親や教師ですが)から刷り込まれてしまった偏見や固定観念から自分自身を解放する、という意味合いも含まれています。しかしこれはそう簡単なことではありません。「個」から「全体」へ向かう道が、そう簡単なわけがありません。これが本当に実現できたとき、人は本当の意味での意識のエネルギーシフトを経験するでしょう。
こうした意識拡大のための具体的な方法については、おいおい詳しくご説明します。
〇粗雑な状態からより微細な状態へ
意識が一種のエネルギーだとするなら、そこには独自の「振動」といったものがあるはずです。「気」あるいは「波動」と言ってもいいかもしれません。よく「気が乱れる」「波動が乱れる」などという言い方をしますが、これはエネルギーが粗雑な振動状態にあるという意味でしょう。この状態が続くと、トラブルや病気の原因になったりします。そこで、意識のエネルギーシフトのためには、より微細な振動状態にする必要があります。どのようにするかは、おいおい詳しく説明しますが、絶対必要条件は瞑想の修行です。
なぜかと言うと、意識エネルギーを微細な状態にするには、寝ている状態でも覚めている状態でも夢をみている状態でもない、第四の意識状態を経験する必要があるからです。第四の意識状態とは、簡単に言うと、肉体は休眠状態にありながらも意識は明確に覚醒している状態です。この状態になれるのは瞑想だけです。
さらに付け加えておくと、粗雑な振動から微細な振動へのシフトは、ローギアからセカンドギアへのシフトアップにすぎません。もちろんその先もあるのですが、まずは最初のシフトアップに焦点を当てましょう。

■葛藤の乗り越え

意識のエネルギーシフトを成し遂げるには、まず真っ先に、意識エネルギーを乱れさせる原因を取り除く必要があります。
意識エネルギーを乱れさせる最大の原因のひとつが「葛藤」です。
「葛藤」とは、簡単に言うと、Aという選択肢とBという選択肢の間で判断が揺れ動いていて、決めかねている状態です。平たく言うと「あちらを立てれば、こちらが立たず」という状態です。
私たちは、この新型コロナウイルスの出現によって、全人類規模での葛藤を経験している真っ最中ではないでしょうか。つまり「感染予防か、それとも経済活動か」という葛藤です。
「意識のエネルギー論」的に言えば、葛藤とは、狭い(低い)意識の範囲で、大きな振幅で激しく振動することです。いわば、狭い檻の中で右往左往している動物園の動物のような状態です。したがって、葛藤を乗り越えるためには、意識を拡大する、あるいは、より高度な意識状態を獲得する、つまり動物園の檻から見通しのいい高台に移る必要があります。
葛藤が続く間、人は自分の人生にブレーキとアクセルを同時に踏み続けることになります。そうすると、ますます振動は乱れます。それどころか、放置すると、葛藤は増殖さえするのです。例えば「感染予防か、それとも経済活動か」という葛藤を放っておくと、「家庭か、仕事か」、「核家族か、多世代同居か」、「都会暮らしか、田舎暮らしか」、あるいは「結婚生活の継続か、それとも離婚か」など、どんどん増えていきます。
また、実はもっともやっかいな葛藤として、「見えない葛藤」というものがあります。どんな二つの選択肢の間で揺れ動いているのかはっきりしている場合はまだましですが、選択肢が隠れている場合もあるのです。この「見えない葛藤」の場合、人は自分が葛藤していることにさえ気づきません。しかし葛藤の影響だけはしっかり受けます。ブレーキとアクセルを延々踏み続けている状態ですから、いずれ何らかの機能不全を起こすのです。
見えない葛藤の見つけ方と、その乗り越え方についても、おいおい詳しく解説します。
さて、21世紀全体の課題に戻るなら、人類史の始まりから、未解決のまま抱え続けている人類共通の「累積葛藤」ともいうべきものがたくさんあるのです。しかも「見えない葛藤」です。この「累積葛藤」によって、様々な問題が生じています。そこで、いわば人類共通の「葛藤の履歴書」のようなものを作ることで、人類が最初に抱いた葛藤の原点にまで遡る必要があるかもしれません。そうして、人類最古の葛藤に行きつき、それを乗り越えられるなら、地球上のあらゆる問題がいっぺんに解決できるかもしれないのです。

■魔法からの解放、催眠術からの目覚め

葛藤し続けることは、精神的にも肉体的にも苦しいことです。そこで、その苦しさから逃れるため、ある種の「誤魔化し」「心の偽装工作」が必要になってきます。
そのとき人は、自分で自分に魔法と催眠術をかけることになります。私たちは、葛藤からの逃避行動として、たいていの場合、自分自身に魔法と催眠術をかけてしまっているのです。

〇魔法とは、簡単に言うと「子どもなのに大人のフリをする」ことです。「大人の仮面を被った子ども」「外見は大人なのに、中身は子ども」という状態です。言い換えると、人間的成長の様々なプロセスが(部分的に)途中でストップしている状態です。
魔法には副作用があります。成長が止まっている部分に、「アディクション(嗜癖、中毒、依存)」か「アレルギー(拒否反応)」のどちらか(あるいは両方)の症状が起きるのです。成長が止まっている部分とは、基本的には満たされなかった、あるいは否定された何かです。
〇催眠術とは、簡単に言うと「眠っているのに起きているフリをする」ことです。つまり「魂」が覚醒していない状態です。言い換えると、「自分のあるべき人生を生きていない」ということです。こういう人は、他人の頭で考え、他人の欲望を満たし、他人の夢を追いかけることになります。
「魂」とは何か?についても、いずれ詳述します。
催眠術にも副作用があります。本来の自分ではない何かに突き動かされやすい、ということです。「こんなはずじゃない」「そっちに行ってはいけない」とわかっている方向にあえて進んでしまうのです。道に開いている穴に気づかずに、そこへハマり込んだり、知らず知らずのうちに危険な選択をしてしまう、という症状が出ます。
もちろんあなたの味方である魂は、あなたが本来の道を踏み外さないよう、様々な要請や警告を発してきますが、それを無視し続ければ、手痛いしっぺ返しを食らうことになります。

このように、魔法も催眠術も、自分にとって都合がいい(お気軽な生き方の)ように見えて、結局副作用に悩むことになります。
では、どのようにして魔法から自分を解放し、眠りから目覚めればいいのでしょう。基本的には、自分で自分にかけた魔法と催眠術に「気づく」ことから始まりますが、そのやり方についても、いずれ解説します。

■「魂」が繰り広げる壮大な生命の実験

葛藤の乗り越えとは、基本的には、二つの選択肢のうちのどちらか一方を選ぶことではなく、どちらも犠牲にしない第三の選択肢を見出すことです。
アインシュタインはこう言っています。
「問題を作り出したのと同じ意識状態で、問題を解決することはできない」
つまり、意識が拡大され、より高次な意識状態を獲得しない限り、人間は相変わらず問題を作り出した意識の次元(狭く低く、粗雑な振動の状態)にとどまっている(問題が解決できない)ということです。

ここでひとつ、思考実験をしてみましょう。
究極の葛藤とは、磁石のS極とN極のように、同居しながらもなかなか交じり合わない二つの「極」が対立している状態のことでしょう。これを「二項対立」と言ったりします。
あらゆる人間にとって、究極の二項対立とは何かを考えてみましょう。
次の方程式をご覧ください。
「人間=心+体」
「心」と「体」というなかなか相容れない二つのものを足したのが「人間」だというわけですが、もし「心」か「体」か、という二項対立の場面が発生したら、それは「精神か、物質か」「命か、経済か」という具合にエスカレートしないでしょうか?
「そんなこと実際にあるのか?」とお思いなら、「トランスジェンダー」と呼ばれる人たちのことを考えてください。つまり心と体の性が合致していない(心は女性なのに体は男性、あるいはその逆)人たちのことです。こういう人は、心と体の間で激しく葛藤します。しかし、いずれはどちらかの性を選ばざるを得ません。そのとき、彼ら・彼女らは、自分の心、体、経済状態、対社会的なこと、アイデンティティ・・・といった具合に、すべてを考慮して性転換(肉体の性を心の性に合わせる)すべきか否かを選ぶことになるはずです。

そこで、第三の選択肢を考えてみます。
次の方程式をご覧ください。
「人間=心+体+魂」
「心」と「体」を足しても、まだ人間にはならない。そこへ「魂」を加えなければ人間は完成しないとしましょう。
この三者の関係性を示すなら、「肉体=ハードウェア、心=ソフトウェア、魂=OS」となるかもしれません。つまりハードウェアとソフトウェアがあっても、実際には何も機能しません。そこへ両方を制御するOSが乗っかって、初めて人間というシステムが全体として機能するのだと考えてみましょう。
この関係は、次のように言い換えることもできます。
「肉体=船、心=舵、魂=羅針盤」
肉体は、心が赴く方向にしか進めません。しかし心は揺れ動きます。心が揺れ動いている間は、肉体は1ミリも動けません。まさにアクセルとブレーキを同時に踏んでいる状態です。結局のところ、人生の進路を決めるのは、羅針盤である「魂」の働きなのだ、と考えるなら、あなたの意識は少し拡大しないでしょうか? つまり魂とは、船(肉体)の状態と舵(心)の状態をよく知っているだけでなく、海の状態もよくわかっていて、その上で船が進むべき方向を示してくれる存在だということです。
心の性か、肉体の性か、どちらか一方を選んだトランスジェンダーの人たちが、最終的に語ることは、自分の中で男性性と女性性が混然一体となっている、ということです。これが第三の道であり、魂の働きです。私は個人的には、あらゆる人が両性具有であるべきだと思っています。この話題も改めて詳しく取り上げます。

あなたの意識がこれでもまだ拡大しないなら、こう考えてみてください。
魂が心も体も制御しているとするなら、魂は心と体の影響を受けない場所にあることになります。では、魂の起源とはどこにあるのでしょう?
魂の起源は多次元宇宙(Kosmos)にあり、そこから心も体も制御しているとしたら・・・?
「宇宙」を英語で綴ると「cosmos」ですが、ここではあえて「K」で始まる単語を用いました。その意味についてもいずれ述べますが、ここでは、意識の拡大を目論むために、こんなファンタジーを考えてみてください。

肉体を伴わない「意識体」である多次元宇宙の魂が、あるとき三次元世界である地球にやってきて、肉体を伴った存在である「人間」になった。
しかし、多次元宇宙も三次元世界も分かちがたく同時に存在するため、魂は相変わらず多次元宇宙を居場所とし、そこから心と体を制御している。
では、魂は何のために三次元の地球にやってきたのか。それは、壮大な生命の実験(限定された三次元時空の中で、生命の可能性がどこまで広がるか)をするためである。

さて、これでもあなたの意識は拡大しませんか。
ならば、さらにこんな方程式を示しておきましょう。
「人間=心+体+魂+霊」
つまり、肉体=船、心=舵、魂=羅針盤、霊=海、ということです。海も含めて人間である、ということです。このとき、人間を定義するうえで、「肉体」がもっとも狭い(限定的な)概念で、「霊」がもっとも広い(包括的な)概念となります。まさに、「個」から「全体」へ、という方向性です。
したがって、魂の何たるかを知らずして、真のスピリチュアリティ(霊性)に至ることはできない、ということです。
言い換えれば、スピリチュアリティ(霊的である状態)とは、ただ単に目に見えない不思議な現象とか、科学では説明のつかない何か、ということではなく、人間の意識が到達し得る最終形態を意味するのです。

■すべてのものの親になること

さて、あなたが「意識のエネルギーシフト」を成し遂げたとします。
すると、あなたの意識は、極限まで拡大したことになります。それを「無限」と呼びます。
一方、あなたの意識はもっとも微細な振動状態になるわけですが、微細が極まれば、振動は停止します。振動が停止するとは、そこに時間が流れていない(時間軸が無効になっている)ことを意味します。それはいわば時間を超越した状態です。これを「永遠」と呼びます。
「そんな状態、実際にはあり得ない」と思うでしょうが、たとえば禅の僧侶が長年の修行によって「悟り」を啓いた状態になったとします。その高僧が深い瞑想状態になったときの脳波を調べてみると、肉体の生理活動は最小限に抑えられ、意識は完全に覚醒している(極限まで活性化している)状態であることがわかります。この高僧は、心がいっさい波立たずに、すべてのものがありのままにはっきり見えている状態です。こういう状態の人に、実際に外側から何らかの刺激を与えてみると、その刺激に一瞬だけ反応するものの、すぐに波立ちが収まるといいます。
この状態のとき、人は自我を超越し、「個」であると同時に「全体」でもある、という意識状態になるようです。「無我」の境地、「融通無碍・天衣無縫」、あるいは「空」の状態と言ってもいいかもしれません。
そのとき人は、生きとし生けるものすべて(一切衆生)が究極の「私」への道を歩んでいる、と感じるかもしれません。ここで言う「私」とは、特定の個人を指しません。永遠・無限の「私」です。「私」と「あなた」は、分かち難くひとつであり、「あなた」が歩んでいる道の先に「私」がいると同時に、「私」は「あなた」に寄り添って、一緒に歩んでもいます。
この状態を言い換えると「すべてのものの親になること」となるでしょうか。
すなわち「全なるものとの合一」です。
ここで最初の「ポンカワンカ」の意味に戻るわけです。

※お断りしておきますが、私がこのような「ポンカワンカ」状態にすでになっているわけではありません。

さて、この考え(ファンタジーと捉えていただいて構いませんが・・・)は、科学的に証明しようがないので、「宗教?」と捉えられても仕方ないかもしれませんが、これだけは言っておきましょう。先ほど、魔法と催眠術というお話しをしましたが、ごく単純化して言うと、魔法を解くカギは、主に心理学的伝統(特に発達心理学のプロセス)の中にあります。一方催眠術を解くカギは、主に宗教的伝統(魂の覚醒のプロセス)の中にあります。たとえば、キリスト教、仏教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンドゥー教など、主要な世界宗教のどれもが、身体・心・魂・霊の構造に関する非常に似通った体系を持っているのです。
このように「ポンカワンカ」は、宗教的概念とも言えるし、心理学的概念とも言えます。伝統的な概念とも言えるし、まったく新しい概念とも言えます。もっと言えば、哲学的、物理学的、社会学的、経済学的、教育学的でもあるでしょう。
しかし、どれも部分にすぎません。つまり、どれだけ言葉を尽くしても、「群盲象をなでる」の類です。
おそらく「ポンカワンカ」の真の意味は、あらゆる部分を超えた全体の中にこそあるのでしょう。

それでは、次回からは、これら5つのポイントのさらに詳しい(各論)部分を解説していきます。

なお、この講座の内容は、「ポンカワンカ・ラジオ」と連動しています。
https://youtu.be/i-XGYLYV7o0

posted by AK at 18:07| Comment(0) | 論考

2020年10月27日

ネットラジオ番組始めました

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■「ポンカワンカ」ラジオ

ネットラジオ番組「AK&SUKEKUMI PONKAWANKAラジオ」を始めました。
とりあえずは、YouTubeでの配信になります。チャンネル登録よろしく!(「ポンカワンカ」で検索)。

相棒の助川久美子(シンガーソングライター)と二人で、普段のおしゃべりの延長のようなアットホームなトークとオリジナル楽曲の紹介、etc…

※助川久美子 YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UC2EguyqaaMZR5c6F66vw3ow

アットホームとはいえ、トークのテーマは決して薄味ではありません。
二人とも表現者なので、日頃の表現活動、創作活動の話題が中心になりますが、それだけではありません。
たとえば、文学、哲学、心理学、芸術、本、音楽、映画、夢、魂、多次元宇宙、意識(無意識)世界、スピリチュアリティ…。総じて言うと、「人間とは何か?」ということ。
そして、謎の言葉「ポンカワンカ」について・・・。

■すでに一回目と二回目をアップしました

第一回:
パーソナリティの二人(AKとスケクミ)が馴れ初めを語っています。
そして二人の最初の作詞・作曲作品「Viento」を紹介。
https://www.youtube.com/watch?v=WPZt72v03-E&t=917s

第二回:
パーソナリティの二人が、創作の原点を語っています。
そしてファンから絶大な支持を受ける名曲「セレナータ」の誕生秘話。
https://www.youtube.com/watch?v=8IrgLT2Q4KY

■今後のテーマ予定

〇普段は決してお見せすることのない創作の舞台裏(ゼロから1が生まれる瞬間)を、出血大公開?!
〇番組タイトル「PONKAWANKA(ポンカワンカ)」の意味とは・・・?!
〇AKが体験し続けている「多次元存在」たちとの触れ合いも、そのディテールにわたって公開か・・・?!
〇素敵なゲストを迎えて、人柄、ライフスタイル、エピソードトークなど、楽しいおしゃべりを展開(ポンカワンカな仲間たち)!
〇「ウィズコロナ、ポストコロナ時代」の新しいライフスタイルとは?!

※パーソナリティの二人への質問、取り上げて欲しいテーマなど、随時募集中!(YouTubeのコメント欄に書き込んでください)


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2020年08月23日

「いじめ」問題から「コロナ」問題へ

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■初版を手にした母の感想、私の感想

待望の母との共著「いじめ現象の全貌と脱却戦略」が、18日に全国一斉発売になった。

出来上がった本を、今年満93歳になった母に初めて見せたときのことである。

「自分がやむにやまれず吐き捨てるようにして書いたものが、こんな立派な本になるとは・・・」

そう、母はまさに心の底に溜まった滓を吐き捨てるようにして初稿を書いたのに違いない。過去を清算し、手放すために書いたのだ。同時に、次の世代への「申し送り状」という意味合いもあった。「私はこのようにして生きてきた、同じ轍は踏むな」ということだ。現に今、孫娘が最初の読者になっている。感想が楽しみだ。

そして、もうひとつの母の実感。
「確かにこの内容は、経験した者にしか書けない」

その通り。
「いじめ、虐待、ハラスメント」というテーマに関しては、実に様々な人が様々なことを言ったり書いたりしている。しかし、どれもせいぜい深い井戸の底を覗き込んで、懐中電灯で照らしてみるぐらいのことだ。母も私も、長い間、井戸の底に住んでいたのだ。そういう人間が、井戸の底の暮らしぶりについて、初めて声を発したのである。

この声には、まったく相反する二つの思いが込められている。
「すべての人よ、この声を心して聴け!」
「できれば、本当に必要なごく少数の人にだけ届いたら、後は静かに放っておいてほしい」

93の母にとって、これがメジャーデビューの本ということになるが、本人は「二度と書かない」と言っているので、デビュー作にして遺作ということになりそうだ。
それには肉体面と精神面の両方の理由がある。
肉体面では、さすがに目が見えにくくなっていて、字を書くのが辛くなっているという事情がある。
精神面では、「世間にあまり波風を立てたくない」という思いがある。
共著者である私は、まだまだ色気が残っているため、「世間に大いに波風を立てたい(問題意識を煽りたい)」という思いに駆られる。

■井戸の底と宇宙ステーション

本書の最初の企画では、母の手記だけで一冊にまとめようとしていた。
ただ出版社としては、それでは単なる無名の老婆の昔語りで終わってしまいかねない。そういうかたちで埋もれさせるにはもったいない内容だ。本当に必要としている読者に確実に届けたい。そのためには、全ての対象読者にとって具体的に役に立つ内容も盛り込みたい。学習参考書で言えば「傾向と対策」というやつだ。
担当編集者からのそうした要望で、それが私に課題として課せられた。

そこで私は、まず「いじめ、虐待、ハラスメント」に関する既存の文献を片っ端から集め、それに目を通すところから始めた。どれも外側から井戸の底に光をあてようとする内容だ。光のあて方にはいろいろあるものの、やはり当事者ではない限界がある。
特に響かなかったのは、いわゆる専門の研究者が書いた学術的な本だ。「机上の空論」というだけではなく、「機能していない構造は解体してしまえ」的な、いわばポストモダン思想の「悪しき癖」のようなものが如実に出ているものさえある。
そんな中、いちばん私の胸に響いたのは、「いじめ、虐待、ハラスメント」という社会問題を何とかしたいという純粋な思いから、日々現場で取り組んでいる実践者たちが書いたものだ。しかし、こうした人たちの最大の問題点は、日々現場で格闘しているだけに、どうしても近視眼的になってしまい、「今手に入る方法論の寄せ集めで何とかまかなおう」とするがあまり、汎用性の高い解決策を提示するまでには至っていない、ということだ。

そこで私は本書で、できる限り「俯瞰」でものを見る視点を導入した。
少し大袈裟に言うなら、井戸の底の住人だった私が、井戸を飛び出し、さらに社会を、人類を、時代を、地球をさえ俯瞰で見る(あたかも宇宙ステーションから地球を眺める)ような視点に立って、「井戸の底」問題に取り組む、ということだ。
これが単なる「大風呂敷」か、それとも的を射ているかは、読者の感想を待ちたい。

「いじめ」の問題を当事者が「手記」というかたちで語るとなると、加害者が自分のことをそういうかたちで語ることはまずあり得ないので、語るなら被害者ということになる。ところが、実は被害者の方も、加害者との間に利害関係があったり、「恥」の概念などがあるため、堅く口を閉ざす傾向にある。
そういう意味でも本書は貴重だが、もうひとつ貴重な点がある。
加害者の立場ではなかなか事情を語らないにしろ、加害者と被害者の両方、どちらかというと加害者の方に長年ぴったり寄り添っていた「第三者的当事者」がいるとしたら、その立場からなら事態をより客観的に語れるはずだ。被害者の側に立つ「代弁者」は公的な立場でもいる。しかし、長い時間をかけて加害者の懐に深く入っていこうとする人間はまずいない。
それこそ、私が加害者(祖母)と被害者(母)の両方を見てきた視点である。しかも私は単なる「巻き込まれ第三者」ではなかった。「第二の被害者」であると同時に、加害者・被害者両方の「相談役」にして「養護役」でもあったのだ。井戸の底と宇宙ステーションの両方の視点から事態を眺めていたのだ。この部分は、おそらく他の誰にも書けないだろう。

■汎用性の高い「組織改革論」として

出来上がった初版の帯には、次のようなコピーが印刷されている。

「もう誰も死なせない!」
「いじめ・虐待・ハラスメントをめぐる問題点と“これしかない”解決法」

この看板は、決して「羊頭狗肉(誇大広告)」ではない。

学校でのいじめを苦に自殺する子どもは後を絶たない。
その事情は職場でさえ同じで、実際に職場でのいじめ(パワハラ)を苦に自殺した被害者の例を、本書でも紹介している。
「家庭」という「密室」にして「最小単位の組織」において起きる虐待は、直接被害者を死に至らしめる。
事態が被害者の死にまでエスカレートする裏には、救済や支援が目的のはずの公的機関の「機能不全」の問題がはっきりとある。本来は被害者を救済する立場のはずの公的機関が、かえって事態をこじれさせてしまっている実態があるのだ。これは二重の意味で「人災」である。
本書は、こうした公的機関の「組織改革論」にまで踏み込んでいる。

だからこそ、この「組織論」の部分は、「いじめ、虐待、ハラスメント」問題だけでなく、たとえば今回のコロナ危機のような事態が発生したとき、国や地方自治体、あるいは医療や社会福祉などの現場が、どのように組織的に動くべきなのか、といったところにも応用できる汎用的な方法論になっているはずだ。
それこそが「宇宙ステーション」的視点の真の意味である。

「機能不全に陥っている組織を解体し、再構築すべし!」?
それは大いに結構な話なのだが、そんな悠長なことを言っている間にも、家庭で、学校で、職場で、人は次々に死んでいく。
「国や地方自治体が助成金や協力金を出すと言っているが、来月では間に合わないんだ。今月必要なんだ!」という事態を、今まさに私たちが経験しているではないか。「いじめ、虐待、ハラスメント」問題にしろ、新型ウイルスの蔓延にしろ、人の命は、悠長な「お役所仕事」を待っていてはくれない。

■組織改革を論じる前に発想を変えるべし

組織の解体・再構築を議論する前に、試してみなければならない対策、改善のプロセスというものがある。
小学生にいきなり大学レベルの課題を出しても意味はない。大学レベルの課題は、中学・高校と進学した後に出されるべきものだ。小学生には小学生が取り組むべき課題というものがある。小学生の取り組み課題と、大学生の取り組み課題と、どちらがより重要か、という問題ですらない。もっと言えば、医学的課題と経済学的課題と、どちらが重要か、という問題ですらない。
小学生の課題も、大学生の課題も、個人の問題も、国の問題も、医学の問題も、経済の問題も、すべてを同じ「文法」で語れる「共通語」というものがあるだろうか。私は本書でそれを目指した。
「いじめ、虐待、ハラスメント」の問題もそうだが、特に新型ウイルスのように、時も場所も人も選ばない大局的(グローバルかつ分野横断的)な問題を、今の日本は「感染拡大防止か、それとも経済優先か」といった二項対立の(ローカルかつ分野限定的)問題にすり替えてしまっている。これはあまりに稚拙で極端な還元論だ。議論は、ウイルス学者と経済学者の間だけでやればいいという問題ではない。
これは政治だけの責任ではない。組織体制の問題ですらない。むしろ「発想」の問題だ。

今、日本はコロナ禍の渦中にあり、はっきり言って政治的な機能不全が随所に出てきていることは、“シリーズ「新型コロナ」”でもさんざん論じてきた。だからといって「では、国を解体させましょう」とはならない。「ある有効な改革を実践した結果、気づいたら既存の国家体制が必然的に解体することになった」というなら話はわかる。しかしそれが成り立つためには、既存の国家体制の下に、新しい体制の萌芽が準備されている必要がある。蛇が脱皮して一回り成長するためには、脱ぎ捨てる皮の下で新しい体が準備されている必要があるのと同じだ。
この「新型コロナ」という世界的危機は、「ウイズ・コロナ」「新しい生活様式」といったかたちで、全人類、全地球規模の「脱皮」を促しているに違いない。そうしたさなか、今日本は、新しい体制の萌芽どころか、とりあえず難局を乗り切るための対処策さえおぼつかない状況ではないだろうか。大局観がないのだ。大局観があれば、新型ウイルスの蔓延で医療現場が逼迫しているときに、「布マスクを一戸あたり二枚ずつ配布しよう」とはならないはずだ。
今の私たちが気をつけなければならないことは、近視眼になったり、拙速な判断をしたり、木だけ見て森を見なかったり、付け焼刃的な対処策でお茶を濁したりしないことだ。さもないと、この新型ウイルスのパンデミックは、21世紀版「ノアの方舟」になりかねない。
posted by AK at 17:17| Comment(0) | 論考

2020年07月31日

「〜実体験サバイバーと巻き込まれオブザーバーがジャッジを下す〜 いじめ現象の全貌と脱却戦略」

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本書は、いじめ、虐待、ハラスメント問題に関する画期的な本です。
8月18日、「日本橋出版」より全国書店にて販売決定。
アマゾン、楽天にて、先行予約販売開始。

■類書にはない本書の特徴
〇35年にわたって繰り返された陰湿ないじめの実態を被害者が赤裸々に告白
〇加害者・被害者両方に寄り添った「第三の当事者」が、いじめ現象を徹底的に洞察
〇いじめ・虐待・ハラスメント問題を「組織論」と捉え、完全解決への展望を提示

■内容紹介
いじめ、虐待、ハラスメント・・・人はなぜ人を虐げ、傷つけ、足蹴にするのか?
学校、家庭、職場・・・世界のどこかで日々繰り返されているにもかかわらず、その実態は相変わらず闇に包まれているこの深刻な社会問題に、本書は鋭くメスを入れ、その内臓を白日のもとにさらして見せるところからスタートする。

一般に、いじめ、虐待、ハラスメントの加害者と被害者の間には利害関係があり、被害者は自分が被害を受けていることを一種の「恥」と捉える傾向があるため、多くを語りたがらない。周囲の人々も重く口を閉ざす。
本書の二人の著者は、その「タブー」を打ち破り、すべてを語った。

第一の著者は、昭和2年生まれの満93歳。戦後間もなく結婚し、姑から壮絶な「嫁いじめ」を受ける。それは、幼い命を犠牲にするほど常軌を逸したものだった。姑の死まで35年にわたって繰り返された陰湿で執拗な「いじめ」を、著者は怜悧に見詰め切り、それを手記として赤裸々に綴った。その実像に、読者は自分の目を疑うだろう。

息子である第二の著者は、嫁と姑(母と祖母)の間に挟まれて「いじめ」の巻き添えを食う。しかし著者にとって、加害者である祖母はあくまで「母親代わり」だった。その目には、誰にも見せたことのない加害者の裏の顔が映っていた。加害者が持つそうした「二つの顔」を、著者は持ち前の心理学的知見を用い、その「病理性」の襞の奥まで、情理を尽くして洞察する。
そしてさらに、いじめ、虐待、ハラスメントの問題にどう対処したらいいか、実際の事例を挙げつつ、被害者、保護・救済者、支援者ごとに、体験者の立場から最善策を提言する。

これだけ衆知され蔓延している社会問題が、なぜ相変わらず解決できず、予防措置もうまくいかないのか、実はそこには公的機関の組織上の問題が根深く絡んでいる。第二の著者はそこにも切り込み、最新鋭の組織論を駆使した完全解決への展望を示す。
それを一言で言うとこうなる。
「特命Aチームによるヒエラルキーからの卒業」

いじめ、虐待、ハラスメント問題の当事者(被害者、保護・救済者、支援者)はもとより、公的な立場でかかわるすべての人(教育関係者、心理学・社会学・精神医学などの専門家、ソーシャルワーカー、カウンセラー、民生委員、福祉関係者、労務関係者、法律家etc…)は、本書の一読によって、必ずや目からウロコが落ちるだろう。

■著者プロフィール
<高林あやか>
昭和2年(1927年)栃木県芳賀郡芳賀町高橋村生まれ
昭和23年 栃木師範学校卒 卒業と同時に県内の新制中学校の教員となる。
昭和27年 結婚して上京。以後は都内の小学校にて、国語の教師。二人の子どもを設ける。
昭和57年 姑の介護のため退職(通算34年間の教員生活)
平成23年(2011年) 3.11の災禍を目の当たりにして一念発起。自身の波乱万丈の人生を後世に伝えるべく、自伝を執筆(本書はその抜粋)
現在は、読書三昧の平穏な余生を送っている。孫四人、曾孫二人。

<アンソニーK(Anthony K.)>
昭和33年(1958年) 東京生まれ 早稲田大学法学部卒
テクニカルライティング(技術文書作成)分野にて独自の基礎理論を構築(同分野の著・訳書多数)。
トランスパーソナル心理学の研究者・大高ゆうこ氏に師事し、ドリームワーク(夢の読み解き法)などを修得。
ケン・ウィルバーやジェイムズ・ヒルマンらの心理学理論の研究・実践者でもある(同分野の自費出版書あり)。
作詞家・音楽プロデューサーとして、2004年、ビクター主催の楽曲オーディションにてグランプリ受賞。現在、インディーズレーベル主宰。

posted by AK at 06:49| Comment(0) | お知らせ
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