2019年09月13日

人間の誕生によって何が起きるのか

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■持病は人生の取り組み課題

毎年、誕生日と相前後して襲ってくる持病の悪化・・・
今年もこの時期、その真っただ中にいるが、例年より悪化しているようにも感じる。
もちろん好き好んでそうしているわけではない。

しかしその一方で、有り難い一面もある。
そういうときだからこそ、そういうときにしか味わえないものがある。そういうときにしか学べない何かがある。
その得難い学びが、それ以降の礎になるだろうと信じるしかない。
激しい痛みに耐えながら、その痛みの奥深くにくすぶっている「何か」に注意を向けざるを得ない。
同じ持病の痛みでも、毎年何かしら違いがあり、それはまるで毎年違うテーマの取り組み課題を提示されているようでさえある。
その課題のクリアとシンクロするように、まるで忍耐への報酬のようにして、やがて痛みの「峠越え」が訪れる。
そして毎年の課題の違いは、より小さい、より取り組みやすいものから、より大きい、より困難なものへの変化のようにも感じる。
今年の持病の悪化具合は、端的に今年の課題の大きさ、困難さを物語っているかのようだ。

■我が母の自伝

毎年恒例の「誕生日周辺事情」に加え、今年はある特殊な事情が重なっていた。
御年92歳になる母が、3.11を経験して、思うところがあったようで、自分のほぼ一世紀にわたる人生を、子や孫の世代へ伝える「遺言」のようにして、数年がかりで手書き原稿にまとめたのだが、それを出版すべく、ひと夏を費やして、文字入力作業を少しずつやっていたのである。
その単純作業の都合上、前から何となく断片的には聞かされていた話を、母の整った自筆の文字で通して読むこととなり、改めて「そうだったのか!」と想い至る部分があったり、また初めて知る話に驚かされたりで、どれも軽々しく扱えるような内容ではないと、襟を正す日々が続いていたのだ。
これはもちろん、何の知名度もない昭和一桁生まれの一年寄りの個人史には違いない。しかしそれは、大戦をまたいで、昭和から平成にかけての激動の時代を、妻として、嫁として、母として、そして職業婦人として、妥協せず、誇り高く生き切った一人の女性から、次の世代全体への、生涯をかけ、体を張った、文字通り命がけの「申し送り状」であると言っても過言ではないものだ。
もちろん息子である私としては、そこに私自身の個人史も含まれているわけだが、それは母親の視点から眺められたものであるがゆえ、私自身の個人的感覚とはまったく異なる方向から物事に光が当てられていて、自分の人生を客観視する貴重な機会を与えられたのでもあった。

というわけで、今年の誕生日周辺は、持病の悪化、人生課題への取り組み、母の自伝のまとめと、トリプルステップの目まぐるしい時期ともなったのである。

■新生児の誕生:宇宙から地球への帰還

ところで、持病の悪化は、なぜ毎年誕生日前後にそのピークを迎えるのだろう。
人間の誕生によって何が起きるのか・・・これは壮大な科学的テーマでもある。
胎児と新生児とは、どこがどう違うのか? 誕生以後、人間は何がどのように変化(進化)していくのか、など、興味は尽きない。

胎児と新生児の違いについて、まず確実に言えることは、羊水の中と大気中という生存環境の違いだろう。胎児は、頭蓋骨が変形するほどの苦労を味わいつつ、狭い産道を通って、「大気圏」にやってくる。まるで宇宙から地球への帰還のようだ。
胎児はもちろん羊水の中にいるわけだが、その外側を「卵膜」と呼ばれる三層構造の膜で保護されている。また、胎児自身も「胎脂」と呼ばれる脂肪で覆われている。胎脂は胎児の皮膚の保湿や産道を通過しやすくするなどの働きがあると言われている。
どうやら胎児は、さまざまなシールドを脱ぎ捨てつつ、大気圏にやってくるらしい。

■新生児に与えられた10分間の「モラトリアム」

私たち人間の、母胎における形態上の発達は、精子と卵子の結合に始まり、細胞分裂を繰り返し、羊水の中で水棲生物となり、両生類から爬虫類へと進化し、誕生によって肺呼吸を始めることで哺乳類になる、という具合に、生命進化のプロセスを早回しでなぞると言われている。
これはたいていの人がすでに知っていることだろうが、意外に知られていない事実もある。

たとえば水中出産などで、胎児が水の中に産み落とされた場合、臍帯(へその緒)を通して酸素が供給されている間(5分〜10分程度)は、新生児は肺呼吸を始めない。水から引き揚げられ、体が外気に触れる刺激を合図に肺呼吸を始めるという。
誕生後も臍帯が機能しているこの10分間は、まさに人間が水棲生物から陸棲生物に進化するまでの「モラトリアム期間」なのかもしれない。水中出産が、分娩台の上の出産より、胎児にとっても負担が少なくてすむと言われる所以は、このあたりにあるのだろう。
確かに、母親の狭い産道を通って、いきなり大気中に「放出」されて、肺呼吸への急激な転換を強いられるより、ワンクッションある方が、無理のないスムーズな移行と言えるだろう。

■ストレスフリーの誕生

このことを私は、水中出産で生まれた娘の誕生時にまざまざと見せつけられた。
娘の母親は、薄明りに照らされ、注意深く静寂が保たれた分娩室で、プールに張られた温めの塩水(羊水の条件に近いもの)の中で、自分一人の力で我が子を娩出し、しばらく水中で泳がせた後、ゆっくりと水からすくい上げた。そして新生児の背中を優しくさすってやると、その刺激を合図に娘は羊水をゴボッと吐き出し、この世の第一声を挙げた。
それは「オギャーッ」というような悲鳴のような産声ではなく、ちょっとした「しわぶき」あるいは深呼吸程度の穏やかなものだった。あとはただ、泣きもせず、安らかに呼吸するのみ。
母親は、臍帯を切る前に、新生児を胸元に抱き、初乳を与える。その様子を、限られた(選ばれた)者だけが黙って見守る。
その場に漂う目に見えないエネルギーを一言で言うなら「静かなる祝福」である。

おそらく、これが本来あるべき人間の「誕生」の瞬間なのだろう。おかげで娘は「出産時トラウマ」とは無縁だったようだ。そのご利益かどうかはわからないが、娘は子どもの頃から変わらず今も、物おじせず、何事にも冷静に対処する穏やかな性格で、何より愛情深い。つまり、この世に「恨み」を持っていないようなのだ。

概して、赤ん坊がどのような「出産時トラウマ」を抱えて生まれるのか、あるいは生まれないのかは、ひとえに、「この世」の側で赤ん坊を待ち受ける人間の心がけ次第、ということなのだろう。
娘の誕生の一部始終に立ち会ってみて、つくづく思うこと・・・
それは、赤ん坊は「産んでやる」のではなく「生まれていただく」のだということ。
「親が子どもに命を授ける」などという言い方は、おこがましいにも程がある。
誕生を待ち受ける者にできることは、赤ん坊が自分の力で生まれてくるのを、いかに邪魔しないか、ということだけである。これは産婦とて例外ではない。周産期における主役はあくまで赤ん坊なのだ。

■出産時トラウマ

産婦の体の自由を奪うだけの分娩台、「助産」の名のもとに外側から産婦や胎児に施される第三者の無礼で強引な手、まがまがしい手術室然とした部屋で、煌々と照りつけるライトのもと、ガチャガチャと鳴り響く器具類の金属的な騒音、生まれたら生まれたで、逆さ吊りにされ、尻を叩かれて強制的に挙げさせられる「産声」という名の悲鳴・・・これらはすべて、デリケートな新生児にとって出産時トラウマ以外の何ものでもない。この世で最初に受ける暴力ないし「拷問」と言っても決して過言ではない。

これらをもう少し拡大解釈して、物理的な拘束条件、他者からの容赦ない強引な手出し、ストレスをもたらす様々な環境要因という具合に考えるなら、誕生後も延々と続く「この世界」そのものを象徴していないだろうか。
これら、新生児をめぐる諸々の環境が抱えているのは、「善意の加害者」あるいは「都合あれども悪意なし」といった事情だと信じたいところだが、そこにもし密かな「悪意」が介在していたとするなら・・・

■望まれなかった誕生

その点では、私はそうとう恨みがましく生まれてきたのではないかと思うことがある。
母の自伝を読むと、私や、私より三つ上の姉の誕生をめぐる母の「周産期」は、ストレスだらけで、そこに漂うエネルギーは「祝福」とは真逆のものだったと言わざるを得ない。

今年の誕生日前後の持病の悪化を心配してくれたある読者が、次のようなメッセージをくださった。

『誕生日前は、体調が悪くなるという話は、私も聞いた事があります。
教えてくれた方の理屈では、「生まれた後の過酷さを知っているので、誕生直前までイヤイヤで、生まれた瞬間、絶望してオギャーと泣く! その記憶があるので、誕生日前は体調が悪くなる」との事。
くれぐれも、お大事になさって下さい。』

私の場合、誕生以後、世の中に対して「失望すれども絶望せず」というスタンスが、この世で生きのびるための唯一ギリギリの選択だったようにも思う。おそらくいまだにそうだ。

母の自伝が示すところによると、「父母にとって」を唯一の例外として、私はK家にとって明らかに「望まれない赤ん坊」だったことがわかる。
薄々感じてはいたが、改めて当事者の包み隠さぬ「告白」に立ち会って、疑念は確信に変わった。
望まないにしろ何にしろ、「生まれてしまったからには、仕方がない」とばかり、一族間に渦巻く醜い権力闘争の道具にさせられていたフシまである。もちろんそれは、大っぴらにやられていたことではない。表向きは「無風」を装って、その裏では「寒風吹きすさぶ」というのがK家の「家風」だったのだ。
その風当たりは、いまだにスティグマおよびトラウマとして、私に深く刻まれている。

旧い言い回しで恐縮だが、普通なら本家に待望の長男が生まれたとなれば、「蝶よ花よ」「乳母日傘」といった具合に扱われてもいいようなものだが(別にそれを望んでいたわけではないが)、事情はまったく逆だった。どのくらい「逆」かと言うと、イメージで言うならこうだ。

生まれることを阻止され、糞尿の中に捨て落された小さな赤い肉の塊・・・
決して与えられてはいけないものを秘かに(死なない程度に)与えられ、内臓という内臓を痛めつけられた嬰児・・・
あわよくば、不慮の事故で命を落とさないかと無意識に画策され遺棄された幼児・・・

これらはあくまでイメージではあるものの、根拠のないイメージではない。
この、血生臭く呪われたイメージはすべて、最も身近で、誰よりも(母よりも)長い時間を共に過ごした身内によってもたらされたものだったのだ。

■スティグマとトラウマ

ところで、「スティグマ」とは、実際の怪我の痕だったり火傷の痕だったり、つまり外側から見える傷跡のことであり、「トラウマ」とは、外側からは見えない「心の傷跡」のことだが、このスティグマとトラウマの関係性について、ラムジーさんが実に穿ったことを言っている。

「人間にとって、トラウマが外からもたらされたものに対する内側の反応であるのに対し、スティグマは内側で起こっていることが外に向かって表れた印なのです。あなたたちは一般に、そのことを逆に捉えているようです。うっかりして指を切ったり、大きな事故に遭うことも、自分の中にある葛藤に原因があるのです。
ただしトラウマとスティグマにも相関関係があります。トラウマがスティグマを引き起こし、スティグマがトラウマになったりするのです。あなたたちは自分で自分を傷つけることにより、他人を傷つけ、地球も傷つける、という悪循環に陥っています。自分を癒すことで他人を癒し、地球を癒してください。」

ラムジーさんの言によれば、毎年判で押したように定期的に襲ってくる私の持病の悪化も、内面の葛藤が原因ということになりそうだ。ただし、ここでいう「内面」とは、必ずしも「私の」という限定条件がつくものばかりとは限らない。
このことが、どうやら今年の取り組み課題の、去年とは違う難しさのようだ。
となると、「他人の内面の葛藤が、いかにわが内面の葛藤となるか」という点を立証する必要が出てくるが、そのあたりは、いずれ刊行されるであろうわが母の自伝が具体的に描いてみせてくれている。
今私が言えることは、母が自伝を書いてくれたおかげで、私のスティグマやトラウマはだいぶ風通しがよくなって楽になった、ということである。
スティグマやトラウマは、人知れず暗くジメジメした地下牢に閉じ込められているうちは、必要以上に疼くのだ。それらが白日の下にさらされれば、それだけ傷は早く乾き、早く癒える。

■61歳の取り組み課題

もちろん、私だけではなく、誰の人生も歳を経るごとに深まり、複雑化していく。6歳の子どもの取り組み課題と60歳の大人の取り組み課題とでは、その深さと広がりにおいて雲泥の差がある。
逆に言えば(きつい言い方で恐縮だが)、あなたが相変わらず去年と同じ課題に取り組んでいるなら、あなたは去年から進歩していない、ということだ。

しかし、因果なもので、取り組むべき人生の課題とやらは、実は生まれ落ちたその瞬間から、すでにすべてが用意されている。赤ん坊は、いきなりすべてのお荷物を背負わされるのだ。
すべてのシールドを脱ぎ捨て、デリケートなものがむき出しになった状態で背負わされるのだから、新生児としてはたまったものではない。
当然のことながら、取り組む順番は、より小さいもの、より楽なものから、より大きいもの、より難しいもの、という順番でなければ、こなせるわけがない。

というわけで、今私は、61歳の年齢なりの、そうとう大きく、そうとう複雑な課題に面と向かっているようだ。
どのくらいの難しさかをたとえるなら・・・

「たとえば、ネガティブだと思っていたものをポジティブに変換するように、今まで常識だと思い込んでいた価値観を根底から覆し、まったく正反対の価値観に置き換え、ただ覆して置き換えるだけではなく、正反対の両者を共存させること。この知的地殻変動とも呼ぶべきものを、自分の内面だけでなく、外的世界にももたらすこと」

ずいぶんと大袈裟な課題のように聞こえるかもしれないが、悪化する持病の痛みに耐え、自らに刻まれたスティグマやトラウマがもたらすものを乗り越え、それを二度と起こさせないようにする、というところまでたどり着くには、これくらいのことは大袈裟ではないだろう。
そのぐらいの「峠越え」をしない限りは、ラムジーさんの言う「自分を癒すことで他人を癒し、地球を癒す」というところまでは、とうていたどり着けない。

■表現されたものが人を楽にする

具体的な例をひとつ示そう。
私は2017年に処女長編「コズミック・スピリット」を書き上げたわけだが、おそらくは2010年頃からすでに始まっていたその長い準備期間において、私は激しい心臓の発作に悩まされていた。紆余曲折の末、その持病を克服するに至るが、その間の事情は小説にも盛り込んだ。
今、心臓の持病が再発せずにすんでいるのは、この長大な小説が「防波堤」になってくれているからだと強く感じる。
つまり、この時期に私に訪れていた人生の取り組み課題を、この小説を書くことで乗り越えられたからこそ、心臓発作に象徴されるような「葛藤の荒海」に、二度と飲み込まれなくてすんでいる、ということなのだと思う。

母の自伝が、私の仕事を楽にしてくれたもうひとつの理由はここにある。
母の自伝を基礎として、私はその上に、さらに広く・高く・頑丈な、新しい「防波堤」を築けばいいのだ。

ラムジーさん流に言うなら、私が私自身のトラウマやスティグマを癒さない限り、他人を癒すことも、地球を癒すこともできないのだから。

posted by AK at 09:26| Comment(1) | 論考

2019年09月01日

体調不良と命のサイクル

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管理人のSです。

那須界隈もめっきり秋めいて、今朝は季節外れのミンミンゼミが悲しげに鳴いていました。

AKは誕生日を迎えるこの時期は毎年体調が悪く、今年も酷暑の疲れと共に絶不調。例年より持病が悪化していて、しばらくは寝たり起きたりが続きそうです。

彼曰く、誕生日前後の1ヶ月位は命が肉体に定着する大事な時期で、赤ん坊は生命の危機も味わっているのだそうです。その時期を上手く乗り越えないと死んでしまう赤ん坊もいるとか。肉体的には非常にきつい時期ですが、精神的には高揚し充実している、とのこと。

AKはこの時期肉体的には下降線を辿るものの、非常にクリエイティブになる時期でもあるようで、既に小説を一作書き上げ、次回作の構想を練っているところです。

ところが、こういう重要な命のサイクルを殆ど無視するような文明の中に、私達は生きているのではないでしょうか。

この夏AKの小説執筆と並行して、現在92歳になるAKの母親が書いた自伝の手書き原稿を入力する作業を少しずつやっていました。昭和一桁生まれの命がけのサバイバル人生をまざまざと見せつけられています。まさしく戦後の高度経済成長期の「命より経済」の価値観の中で、キャリアウーマンとして生き貫くと同時に、子どもの命を必死に守り抜いた、或る女の人生が描かれています。
それを読んでいると、肉体的にも精神的にも劣悪な家庭環境の中で、AKはよく生き延びることができたと思います。その代わり沢山の持病を抱えてしまったようです。

皆さんはそういう生命のサイクルについてどのくらい意識しているでしょうか。


posted by AK at 09:26| Comment(2) | 日記

2019年08月26日

知的エンタテインメント(その33)ファンタジーは子どもの成長に欠かせない要素

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しっかりした教育を受けたある夫婦に男の子が生まれた。この夫婦は徹底した実用主義者で、子どもが抱くあらゆる疑問に、通り一遍の適当な作り話で答えるべきではないと考え、子どものために有益で知的な環境を整えるよう努めた。
たとえば、人はどうして生まれるの、という質問に、彼らはコウノトリの話ではなく、写真は図版を用いて、生殖と誕生の仕組みをあますところなく事細かに説明した。
サンタクロースや妖精や守護天使などが登場するようなお伽噺はいっさいせず、子どもに読んできかせる文学作品を、細心の注意を払って選んだ。

その結果、息子は5歳になると、皆が目を白黒させるほどはっきりと物を言うようになり、分別と思慮深さを示したという。
ところが、7歳頃になると、息子は成長が止まったようになった。夜を極度に恐れるようになり、やせこけ、ひ弱になり、学校生活もままならなくなった。最終的には幼児性精神分裂症と診断されるに至り、一年ほど効果のない治療を受けた後、9歳のときに、幼児教育の専門家フランシス・ウィックスのものに連れて来られた。

事情を知ったウィックスは、両親に次のような処方箋を書いた。
「一日何時間も、この子に、空想、おとぎ話、途方もない作り話だけを読んであげなさい。ものをしゃべる動物、雲のお城、小人、魔術的・神秘的な出来事や奇蹟、サンタクロースや天使、妖精や魔法使いたちを全部登場させなさい。彼の心を現実にないもので満たし、一緒に花に語りかけ、木や風とおしゃべりをし、彼の生活をとことん想像上の生き物で活気づけてやりなさい」

すると、数カ月のうちに、子どもはよくなって学校に通うようになり、遅れを取り戻し、健康的で明るくなった。
ファンタジーがいかに子どもの成長に欠かせない要素かを物語るようなこのエピソードについて、ジョセフ・チルトン・ピアスは次のように述べている。
「今や、発達する機械の欠けた部品が補充されたのである。というより、単に自然の意図するままに動くことを許されたといった方がいいかもしれない・・・つまり、意味のないでたらめな世界に意味のある関係をもたらす方向に向かったのである。」

参考:ジョセフ・チルトン・ピアス「マジカル・チャイルド育児法」(日本教文社)

posted by AK at 14:10| Comment(0) | 知的エンタテインメント

2019年08月25日

知的エンタテインメント(その32)お金のやりとりって本当に必要?

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コンピュータのハードウェア会社のA社とソフトウェア会社のB社が取り引きをした。
A社は自社で必要なソフトウェアの開発をB社に依頼し、B社は自社で必要なハードウェアの製造をA社に依頼した。
すると偶然にもお互いの請求額がピッタリ一致したのだ。
そこで両社はお金のやりとりをしないことに決めた。つまり両社ともお金を介在させずに、労働の代価として、ほしいものを手に入れたことになる。

貨幣経済や市場経済に代わるまったく新しい経済の可能性を示唆するエピソードではないだろうか。

posted by AK at 15:54| Comment(2) | 知的エンタテインメント

2019年08月24日

知的エンタテインメント(その31)フォードの「ピント裁判」

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アメリカのフォード社は、1970年、当時熾烈を極めていたコンパクトカー市場への参入に遅れをとるまいと、新車「ピント」の開発に踏み切ったが、開発期間を短縮し、コストを削減する目的で、通常43ヶ月を要する新車開発期間を25ヶ月で終わらせようとした。

ところが、開発段階でデザインを重視した結果、ガソリンタンクとバンパーが近接した構造となり、バンパーの強度不足により追突事故に非常に脆弱である欠陥が発覚した。
しかし、フォード社はこの欠陥による年間の事故発生件数を試算し、それに支払うことになる賠償金額と欠陥対策にかかるコストとを比較し、賠償金を支払う方が安価であると判断して、そのまま市場に出した。

1972年、ハイウェイを走行中のピントがエンストを起こし、約50km/hで走行していた後続車に追突されて炎上し、運転していた男性が死亡、同乗者が大火傷を負う事故が発生した。
この事故が損害賠償裁判となり、フォード社の元社員らが欠陥を知りながら開発を進めた事実を証言し、対コスト比計算の事実も発覚した。

裁判の結果、フォード社は多額の賠償金の支払いを課せられ、大きな経済的打撃を受け、さらに製品の信頼性や会社の信用も失墜してしまうこととなった。
フォード社は欠陥対策としてガソリンタンクを車軸上に配置変更し、バンパーとガソリンタンクの強度向上をはかった。

いかに利益優先にしようと、人命を軽んじたら、利益以上のものを失う、というお話。
これは、業界を問わず、あらゆる企業に通じる普遍的な原理だ。

posted by AK at 09:42| Comment(2) | 知的エンタテインメント
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